らき☆すた神輿ものがたり

らき☆すた神輿ものがたり

誕生から2011年までの黎明期におけるらき☆すた神輿のあゆみをご紹介します

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誕生から2011年までの黎明期におけるらき☆すた神輿のあゆみをご紹介します


2008年春 らき☆すた神輿誕生

鷲宮神社鳥居 埼玉県北東部の町、鷲宮町(現久喜市)。人口3万6千人のこの町に、ある時若者たちの姿が多く見られるようになりました。2007年放送のアニメ「らき☆すた」において、この町の象徴でもある「鷲宮神社」が舞台設定のひとつとして登場し、その舞台を訪れようとする「聖地巡礼」が人気となったのです。そこで町は商工会を中心となって様々な催しを行い、2008年の正月三が日において、前年9万人だった初詣参拝客が30万人に増加するという実績を得ることができたのです。

そんな中、地元で長らく行われている祭りである「土師祭(はじさい)」を主催する「土師祭祭輿会」が、「これだけの盛り上がっているなら、土師祭に神輿を出してみてはどうか」と考え、制作されることになったのが、らき☆すた神輿だったのです。 土師祭 千貫神輿「土師祭」は元々、担ぎ手が減少し70年間渡御をすることが途絶えていた「千貫神輿」を、1983年に再び担ぐために地元の有志によって興された祭りで、鷲宮神社の「正式な神事」というよりは「神輿を担ぐためのイベント」的な位置づけとされています(鳥居脇の「神事予定表」にこの土師祭が書かれていないのはそのため)。

不足する担ぎ手は全国から募って行われ、当初は千貫神輿だけであったものが、やがて各種の神輿も同時に担がれる一大イベントとなっていったという経緯があるのでした。そういった中において、鷲宮町に吹いた「新しい風」を象徴する存在として、らき☆すた神輿は作られることとなったのでした。

神輿本体は基本的に全て手作り。土台部分や基礎の枠部分などは余剰の角材を利用し、新たに用意されたのは細い角材など一部のみにとどまり、結果としてさほど予算をかけずに作られています。要所にはボルトや木ねじが仕込まれ、激しい動きにも対処できるようになっているのが特徴といえるでしょう。

2008年らき☆すた神輿基本的な神輿のスタイルは、布に描かれた絵を内側から光で照らす「万灯神輿」といわれる物が基本となっており、その絵にらき☆すたキャラが描かれることとなったのですが、その絵を描く役には、鷲宮神社で「痛絵馬」を描いていたファンが抜擢されました。鷲宮神社における「聖地巡礼」においては、その巡礼者が境内の絵馬掛け所に、イラストを描いた絵馬を奉納していくことがひとつの流れとなっており、地域を愛してくれるファンと共に作っていくという思いもあったのです。作業に加わった2名のファンは、最初は慣れない布への描画作業にとまどったものの、3日間の作業を経て上部の4面に各3名ずつが描かれたイラストが見事に仕上がり、既にできあがっていた構体と組み合わさり、晴れてらき☆すた神輿は完成したのでした。

担ぎ手は神輿のプロではなく、鷲宮町に集まるファンが担当することとなり、8月初旬に商工会ホームページ及び大酉茶屋わしのみやに掲示されたポスターによって募集がかけられました。当初は「集まらなければ千貫神輿の担ぎ手が担げばいい」とも考えられていたものの、募集開始と同時に全国から志願者が次々と集まり、3日あまりで約120名ほどの定員が埋まって、晴れて土師祭当日を迎えることとなったのでした。